大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成9年(合わ)133号 判決 1999年5月27日

主文

被告人を無期懲役に処する。

押収してある包丁一丁(平成九年押第一五七九号の1)を没収する。

理由

【被告人の身上、経歴、犯行に至る経緯】

被告人は、昭和一七年五月一五日、当時の朝鮮京城府で五人兄弟姉妹の二男として出生し、終戦後、家族とともに日本に引き揚げ、昭和二二年ころから、福岡県戸畑市(現在の北九州市)に居住し、昭和三三年三月に戸畑市立の中学校を卒業した後、九州などで映写技師見習い、塗装店や映画館の従業員等の職を転々とし、昭和五一年八月、山口県下関市内のストリップ劇場で照明係として働いていた際、家出中の一六歳の少女と偶然知り合って肉体関係を持ったが、冷淡な態度をとられたことなどに憤激して同女を殺害したことから、昭和五二年一月一四日、広島地方裁判所で殺人罪により懲役一〇年に処せられ、岡山刑務所で服役した。昭和五九年一二月二〇日、岡山刑務所を仮出獄した被告人は、千葉県船橋市内ヘ転居していた両親のもとに身を寄せ、地元の映画館で映写技師として稼動し、そのうち、東京都内で住込みの建設作業員等をするようになり、昭和六二年末から翌六三年初めに掛けて、自動車を盗んだ上これを無免許で運転して、同年三月一〇日、東京地方裁判所で懲役一年二月に処せられ、府中刑務所で服役した。被告人は、平成元年二月一五日、府中刑務所を仮出獄し、その後、東京都江東区《番地略》に事務所のある甲野建設で建設作業員をしていたところ、同年一二月一九日深夜、同区大島六丁目のバス停留所付近において、帰宅途上のA子(当時三七歳。以下「A子」という。)を見掛け、飲食に誘うと、これに応じたため、付近の居酒屋で酒を飲み、店を出た後、A子をホテルに誘ったものの、拒否されたことから、路上において、その頚部を両手で強く締め付けて失神させた上、付近に落ちていた電気コードでA子の頚部を強く締め付けるなどの暴行を加えて、強姦し、その際、全治約二週間を要する頚部縊創等の傷害を負わせるとともに、財布等の入ったショルダーバッグ一個を窃取し、その数日後、強姦したことを種に金を喝取しようと企て、A子に電話して、一〇万円を持ってくるように要求し、「警察に言えばどんな目に遇うかもしれないぞ。」などと言って脅したが、A子が警察に届け出たため、同月二九日、現金の受渡し場所に現れたところを警察官に逮捕され、平成二年三月一三日、東京地方裁判所で強姦致傷、窃盗、恐喝未遂罪により懲役七年に処せられ、札幌刑務所に収容された(以下、A子に対する右事件を「強姦致傷等の事件」又は「前件」という。)。

被告人は、強姦致傷等の事件で逮捕されたのはA子が警察に届け出ないという約束を破ったからであり、A子のしたことは自分に対する裏切り行為であると決め付け、A子に激しい憤りを覚えるとともに、自分の言った言葉が脅しではないことを思い知らせなければならないなどと考え、出所した暁には恨みを晴らすためにA子を殺害しようと決意した。

その後、被告人は、同房の未決囚から、強姦致傷等の事件の刑について、普通より一年か二年重いと言われたこともあって、このような重い刑を受け、気候の厳しい札幌刑務所で辛い思いをしなければならないのはA子が自分を裏切って警察に届け出たからであるなどと恨みを募らせ、服役期間中を通じて、出所後にA子を殺害しようという決意を変えることはなかった。

被告人は、平成九年二月二一日、札幌刑務所を満期出所し、その日のうちに、札幌駅から上野行きの夜行列車に乗り、翌二二日朝、上野駅に到着し、その日は実家に身を寄せた。そして、同月二三日、強姦致傷等の事件を起こした夜にA子から「乙山団地に一人で住んでいる。」と聞いていたことから、A子の住居を探そうと考え、東京都江東区《番地略》所在の住宅・都市整備公団乙山団地へ行き、二号棟一階にある集合郵便受けを見てA子の名前を探したが、見付けることができなかった。

被告人は、同月二四日から、かつて勤務したことのある東京都墨田区錦糸所在の丙川設備株式会社で作業員として働くようになり、同年三月一日、休憩時間に、作業現場の近くにあるディスカウントショップへ行き、A子の殺害に用いる凶器として、刃体の長さ約二〇・九センチメートルの包丁一本及びペット用ロープ二本を購入した。

その後、被告人は、丙川設備株式会社を辞め、同月一四日から、江戸川区《番地略》所在の丁原産業株式会社で社員寮に住み込みながら建設作業員として働き始め、同月一六日ころ、仕事の休みを使って、再び乙山団地に赴き、A子の住居を探したものの、A子の名前を見付けられなかった。被告人は、さらに、同年四月七日ころ、仕事の休みを利用して、乙山団地へ行き、一号棟一階の集合郵便受けを見て回ったところ、四一〇号室の郵便受けに「A子」と表示されているのを発見した。A子の住居を突き止めたと思った被告人は、五月の連休になればA子が不在になるおそれがあるので、それ以前にA子の殺害を実行しようと考え、実行日を四月一八日金曜日と定め、殺害方法として、A子の出勤途上又は帰宅途上を狙って包丁で刺殺することとした。被告人は、同月一三日ころ、滑り止めの目的で包丁の柄の部分に黒色ビニールテープを巻き付け、同月一七日には、持ち運ぶのに目立たないように、生活情報誌を使って包丁の鞘を作ったほか、犯行後に社員寮を引き払うことを考え、衣類の一部を手提げ袋の中に入れて千葉県市川市内の本八幡駅のコインロッカーに預けた。

被告人は、同月一八日午前六時四五分ころ、鞘に入れた包丁を携え、社員寮を出て乙山団地に向かい、午前七時三〇分ころ、一号棟四一〇号室前に到着すると、玄関の表札を見てA子の住居であることを確認し、室内の明かりでA子がまだ在室していると考え、人目に付かないように、同室から十数メートル離れた一号棟四階北側の非常階段の踊り場で待機し、A子が部屋から出てきたところを狙ってエレベーターに乗る前に殺害することとし、殺害する前に前件の被害者A子本人であることを確認した上、約束を破って警察に届け出た恨みを晴らしに来たことを伝えるという手順を決めた。午前八時ころ、A子が部屋から出てくるのを認めた被告人は、すぐに後を追い掛け、A子の背後数メートルの所まで近付いていったが、エレベーターホール横の中央階段付近から階段を下りてくる人の足音が聞こえてきたので、目撃されることをおそれ、一瞬ひるんで立ち止まったところ、その間にA子がエレベーターに乗って一階まで降り、そのままタクシーで走り去ってしまったため、殺害を実行に移すことができなかった。

そこで、被告人は、A子の帰りを狙って殺害しようと計画を変更し、着ていたセーターに包丁を包んで、A子の部屋の玄関脇にあるメーターボックスの中に隠した後、付近の酒屋で酒を買って飲んだり、社員寮に帰って昼寝をしたりして時間をつぶし、同日午後七時過ぎころ、再び乙山団地一号棟四一〇号室前に戻ってきた。被告人は、室内が暗かったことから、A子がまだ帰宅していないと考え、メーターボックスの中から包丁を取り出して、ベルトに挟んだ上、一号棟四階南側の非常階段の踊り場等において、A子が戻ってくるのを見張っていたところ、午後九時過ぎころ、団地内の広場付近を一号棟に向かって歩いてくるA子の姿を見付けたため、エレベーターに乗って下に降り、一階に到着すると、開いたドアの先にA子が立っていたことから、A子を殺害するのに良い機会であると考え、エレベーターに乗ったまま、A子が乗り込んでくるのを待ち、「何階ですか。」とA子に声を掛けた上、「四階をお願いします。」という返答に応じて四階のボタンを押し、エレベーターが上昇を始めると、「A子さんですか。」と尋ねて、本人であることを確認した後、「俺のことを覚えているかい。」と話し掛け、思い出しかねる様子で首を傾けながら被告人の顔を見ているA子に対し、隠し持っていた包丁の柄を右手でつかみ、鞘からゆっくり引き抜きつつ、「七年前の事件のことは覚えているか。」と低い声で脅した。これに対し、A子は、悲鳴を上げながら、突如、被告人に飛び掛かり、被告人の右手から包丁を奪い取った上、折からエレベーターが四階に到着してドアが開くや、包丁を手にしたままエレベーターから降り、「助けて、殺される。」などと大声でわめきながら、四階エレベーターホール北側の壁際まで後ずさりしていった。被告人は、A子の思わぬ抵抗に動揺しながらも、A子を殺害する機会は今しかなく、少しくらい怪我をしてでも殺害しようと考え、被告人を近付けないように小刻みに包丁を突き出すなどしていたA子に飛び付いてエレベーターホール北側の壁に押さえ付けた上、その左手から包丁を奪い返した。

【罪となるべき事実】

被告人は、

第一  平成九年四月一八日午後九時過ぎころ、東京都江東区《番地略》所在の住宅・都市整備公団乙山団地一号棟四階エレベーターホールにおいて、A子(当時四四歳)に対し、殺意をもって、所携の刃体の長さ約二〇・九センチメートルの包丁(平成九年押第一五七九号の1)でその腹部及び胸部を数回突き刺し、よって、同日午後一〇時三九分ころ、東京都墨田区江東橋四丁目二三番一五号所在の東京都立墨東病院において、A子を心損傷等により失血死させて殺害し、

第二  前記殺害行為の直後、前記エレベーターホールにおいて、A子の所有又は管理に係る現金約一万一七七三円及びクレジットカード等七六点在中のハンドバッグ一個(時価合計約一万六四一〇円相当)を窃取した

ものである。

【証拠の標目】《略》

【事実認定の補足説明】

一  弁護人は、被告人が判示第一の犯行の際に殺意を有していたことは争わないものの、殺意の形成過程について、犯行当夜に被害者と対面するまでは未だ被害者の殺害を決意しておらず、被害者が包丁を奪い取るなどの予想外の行動に出たことから、パニック状態に陥って、殺害を決意したと主張し、被告人も、公判段階において、概ねこれに沿う供述をしている。

そこで、判示のとおり、被告人が前件で逮捕された時点で、出所後に被害者を殺害しようと決意し、札幌刑務所で服役中も、その決意を持続させ、出所後、これを実行するに至ったと認定した理由について、補足して説明する。

二  まず、札幌刑務所を出所した後の被告人の行動について、以下の各事実を挙げることができる。

(一)  出所してわずか二日後の平成九年二月二三日、乙山団地へ行き、集合郵便受けを見ながら被害者の住居を探し始め、その後も、被害者宅を探した結果、同年四月七日ころ、一号棟一階の集合郵便受けに「A子」という表示を発見し、被害者宅を突き止めた。

(二)  出所後八日目で、しかも、被害者宅を突き止める前の同年三月一日、実際に被害者の殺害に用いた包丁を購入するとともに、絞殺のための凶器であるペット用ロープも購入した。

(三)  犯行日の近くになって、滑り止めの目的で包丁の柄にビニールテープを巻き付け、犯行日の前日には、衣類の一部を駅のコインロッカーに預けた。

(四)  犯行当日の朝、被害者宅の前まで行き、その近くで、被害者が部屋から出ていく姿を認めたものの、取り逃がしたため、被害者の帰りを待つこととし、包丁をセーターに包んで被害者宅の玄関脇にあるメーターボックスの中に隠し、時間をつぶした後、夕方になって、乙山団地に戻り、被害者の帰りを待ち受けていた。

(五)  犯行当日の午後九時過ぎころ、一号棟四階から、被害者が歩いて戻ってくる姿を見付けるや、エレベーターに乗って一階に降り、被害者がエレベーターに乗り込んでくると、声を掛けて被害者であることを確認した上、包丁を抜きつつ、「七年前の事件のことを覚えているか。」と言って脅し、その後、被害者に包丁を奪い取られたものの、これを取り返して被害者を刺殺した。

右の各事実は、弁護人が争っておらず、被告人も捜査段階のみならず公判段階においても認めている上、包丁等の購入を裏付けるレシート、柄にビニールテープの巻かれていた包丁、メーターボックスの中から被告人のセーターが発見されたことを示す捜索差押調書等の客観的証拠が存在するのであるから、動かし難い事実として認定することができる。そして、これらの各事実は、被告人が札幌刑務所を出所した時点で被害者に対して確定的な殺意を抱いていたことを強く指し示すものである。

三  これに対し、被告人は、公判段階において、包丁を持って犯行現場に向かった時点では殺すかどうか五分五分の気持ちであって、被害者の出方次第であり、警察に届け出たことを謝罪すれば殺害するまでのことはなかったし、包丁を抜いたのは被害者を脅すつもりであったからであるなどと、犯行直前まで被害者に対して不確定的な殺意しかなかった旨の供述をしている。

しかし、被告人自身が公判段階において認めるとおり、犯罪の被害者が警察に届け出たことについて後に犯人に謝罪するという事態は考えにくいことであるし、犯人が包丁を示して脅した上で謝罪を強要し、被害者の対応如何によって殺害するかどうかを決するということは、それ自体、不自然、不合理な内容である。また、前記二のとおり、札幌刑務所を出所した後の被告人の一連の行動は、被害者に対して、確定的な殺意を抱いていたことを強く指し示している上、犯行直前の被告人の被害者に対する言動をみても、被害者の出方次第という留保付きの不確定的な殺意を有するにすぎない者の行動というにはそぐわないものである。加えて、被告人は、公判段階になって突然、犯行直前まで不確定的な殺意しかなかった旨の供述を始めたのであり、このように供述を変遷させた合理的理由を明らかにしていない上、検察官による被告人質問においては、当初から確定的な殺意があったという供述もしていることを併せ考えれば、犯行直前まで不確定的な殺意しかなかったという被告人の公判段階における供述は、信用することができない。

四  更に進んで、被告人が札幌刑務所を出所する前から殺意を抱いていたかどうかについて検討すると、被告人は、検察官の取調べに対し、一貫して、「強姦致傷などで逮捕された時から」「A子さんを必ず殺すという決意が既にあったのです。」などと供述し、前件で逮捕された時点から被害者の殺害を決意していたことを認めている。被告人は、検察官の取調べに対し、前件で逮捕されてから出所するまでの状況、出所後の状況、犯行時の状況等について、自己の心情を交えつつ、具体的、詳細に供述しており、そこには迫真性、臨場性が認められる上、「服役中、俺を裏切ったA子を殺すという気持ちで頭が一杯であったわけではありません。むしろ、刑務所での日々を過ごすことに気持ちを使っていたことも多かったのです。」などと、一方的に不利益にならないような供述をし、また、捜査官から嫌疑を掛けられた強姦目的や強盗目的の存在は、これをきっぱりと否定し、さらに、捜査段階の当初には、被害者に謝罪するつもりであったという虚偽の供述や、「ビルの一部解体作業があり、その際、現場で今回凶器に使った柳刃包丁を見つけたのです。」と、事実に反する供述をするなどして、被告人が隠したいことは隠し、捜査官の出方を計りつつ供述している様子も窺われる。そして、被告人は、公判段階において、前記三のとおり、犯行の直前まで不確定的な殺意しかなかった旨の供述をする一方で、「捜査段階のときは自分の本音を吐いたと思います。」、前件で逮捕された際、「まんまと裏切られたもんで、必ずぶっ殺してやるぞと考えたんです。」、札幌刑務所で服役中、「出たら復讐することを考えていた」、出所後、被害者を殺してやろうという気持ちが「根強く残っていた。」、「彼女の居場所がはっきりわかった時点で、また煮えくり返るものが発生したんですね。」などと、前件で逮捕された時点で被害者の殺害を決意してこれを持続させていたことを認める供述を随所でしており、これらに照らすと、前件で逮捕された時点から被害者の殺害を決意していた旨の被告人の検察官の取調べに対する供述は、その信用性が高いということができる。

以上に加え、被告人は、捜査段階だけでなく公判段階においても、被害者が警察に届け出ないという約束を破ったのは自分に対する裏切り行為であると何度も強調して、その憤りの根深さを表していること、前件で逮捕された時点を除けば、被告人が被害者の殺害を決意するようなきっかけは見当たらないこと、被告人は、前記のとおり、公判段階においても、前件で逮捕された際に被害者を必ず殺そうと思った旨の供述をしていることなどを併せ考えれば、被告人は、前件で逮捕された時点で、手段、方法等の具体的な内容は別として、出所後に必ず被害者を殺害しようと決意し、札幌刑務所で服役中も、被害者を殺すことばかり考えていたわけではないにせよ、その決意を持続させ、出所後、凶器を準備したり、被害者宅を突さ止めたりする間に、次第に被害者の殺害計画を具体化し、遂には実行するに至ったものと認めるのが相当である。

五  ところで、本件殺人に関しては、被告人の犯行前及び犯行当時の心理状態につき、前件で逮捕された際、被害者に対して恨みとともに恋慕の情を抱き、その後、これらの想いを錯綜させつつも増幅させ、犯行当時には、被害者に対する恨みを晴らすという心理とともに、もしかしたら受け入れてくれるのではないかという幻想的な心理を持ったまま被害者に再会したため、被害者に包丁を取り上げられてパニック状態に陥り、殺害に及んだとする情状鑑定が存在する。この情状鑑定を行った証人藤田宗和及び証人大越誠一の各証言並びに両名作成の鑑定書によれば、情状鑑定は、被告人の心理的な特性や、鑑定人の面接時における被告人の供述のほか、被告人の事前の行動に被害者の殺害に対する逡巡が見られるという事情を根拠として、被害者に包丁を奪われるまでは殺意と恋慕の情とが拮抗していたという結論を導いたものと考えることができる。

しかし、まず、鑑定人の面接時における被告人の供述には、信用性のないものが少なくない。例えば、被害者に会って謝りたいという気持ちがあったという部分は、被告人自身が捜査段階及び公判段階において認めるとおり、虚偽である。

次に、情状鑑定が、被告人の事前の行動に被害者の殺害に対する逡巡が認められるとしている点は、鑑定の前提となる事実の評価に明らかな誤りがある。すなわち、証人藤田宗和及び証人大越誠一の各証言並びに両名作成の鑑定書によれば、情状鑑定は、<1>犯行当日の朝、被害者の殺害を実行することができたのに、これを実行しなかったこと、<2>犯行当夜、エレベーターの中で、直ちには犯行に及ばなかったこと、<3>被害者に包丁を簡単にもぎ取られたことなどの点をもって、被告人が被害者の殺害を逡巡していたととらえている。しかし、<1>については、被告人が、被害者を取り逃がした理由について、検察官の取調べに対し、「中央階段を人が下りてくる足音が聞こえたのです。」「もし、彼女が騒げばすぐに駆けつけられると思ったのです。」と供述するとともに、公判段階においても、「第三者〔から〕目撃されたりしたらまずいと思い、それで、午前中は避けたのです。」と供述していることに照らせば、殺害を逡巡したのではなく、目撃されることをおそれて犯行を見送ったという合目的的な行動と評価すべきである。<2>については、エレベーターの中での被告人の言動は、殺害に対する逡巡とはほど遠いといわざるを得ず、被告人が公判段階において、七年前の事件を思い出させてから殺そうと思った旨供述しているとおり、当初から考えていた手順に従ったにすぎないというべきである。<3>についても、現場における被害者の対応や、被告人が捜査段階において、「刃物を見せながら脅し文句を言い始めた時でしたので、十分に力を入れて柄を握っておらず、一瞬の隙に私の右手から抜き取られるようにして刃物を奪われたのです。」と説明していることからすれば、逡巡によってではなく、隙を衝かれて、包丁を奪い取られたとみるべきである。このように、情状鑑定が指摘する点は、被告人が被害者の殺害を逡巡していたことの根拠にはならず、そのほか、本件殺人に至るまでの被告人の一連の行動に被害者の殺害を逡巡したことを窺わせる事情は認められない。

右のとおり、鑑定人の面接時における被告人の供述には信用性のないものがあり、かつ、鑑定の前提となる事実の評価に誤りがある以上、その結論には疑問を抱かざるを得ない。そうすると、情状鑑定の結論は、被告人が当初から確定的な殺意を有していたことを覆すに足りるものではないというべきである。

六  以上のとおりであって、被告人は、前件で逮捕された時点から被害者の殺害を決意していたものと認めることができる。

【弁護人の主張に対する判断】

一  弁護人は、被告人が、被害者に包丁を奪い取られるなどの予想外の展開に気が動転するとともに、自分の方が殺されてしまうという恐怖心から、極度のパニック状態に陥り、さらに、包丁による攻撃に対して本能的に反撃行動に出た際に右手人差指に切り傷を負ったことで、一層逆上、激昂し、善悪の弁別能力及びこれに従った自己制御能力が喪失し又は著しく減退し、いわゆる「不可逆的衝動」に支配された状況下で判示第一の殺害行為に及んだものであるとして、(1)本件殺人は、正当防衛、誤想防衛又は過剰防衛のいずれかに該当し、(2)被告人は、本件殺人の犯行当時、心神喪失又は心神耗弱の状態にあった旨主張する。

二  しかし、関係証拠によれば、被害者は、被告人から奪い取った包丁を左手に持ち、助けを求めながら後ずさりし、被告人を近付けないように、包丁を小刻みに突き出したり、横に振ってわめいたりしていたことが認められ、このような被害者の行動が被告人に対する急迫不正の侵害に当たらないことは明らかである上、被告人は被害者の行動についてそのとおり認識していたのであるから、急迫不正の侵害があると誤認していたわけでもない。しかも、被告人の行動、とりわけ、逃げようとする被害者を追い掛け、被害者から包丁を奪い返した後、強烈な刺突行為に及んだことからすれば、被告人が防衛の意思を有していたということもできない。したがって、判示第一の殺害行為について、正当防衛、誤想防衛又は過剰防衛が成立する余地はなく、弁護人の(1)の主張は採用しない。

三  また、関係証拠によって認められるとおり、被告人が被害者に包丁を奪われるという予想外の展開に多少動揺したことは否定できないものの、その後、被告人は、被害者の動きに的確、機敏に対応して、包丁を奪い返し、当初の計画どおり被害者の殺害を敢行したばかりでなく、殺害行為の終了後も、被害者に致命傷を負わせたことを確認し、被害者の手から落ちたハンドバッグを盗み、包丁を携えて現場から逃走するなど、冷静で、合目的的な行動をとっており、何らの異常さも窺われない上、被告人が、捜査段階や公判段階において、本件各犯行及びその前後の状況につき詳細に供述しており、そこには意識障害や記憶の欠落等も認められないことなどに照らすと、判示第一の犯行当時、行為の是非善悪を弁識しこれに従って行動する能力が欠如していなかったことは勿論、これが著しく減退していなかったことも明らかであるから、弁護人の(2)の主張も採用しない。

【累犯前科】

被告人は、平成二年三月一三日東京地方裁判所で強姦致傷、窃盗、恐喝未遂罪により懲役七年に処せられ、平成九年二月二〇日右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は検察事務官作成の前科調書によってこれを認める。

【法令の適用】

被告人の判示第一の所為は刑法一九九条に、判示第二の所為は同法二三五条にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪について所定刑中無期懲役刑を選択し、前記の前科があるので、同法五六条一項、五七条により判示第二の罪の刑について再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、同法四六条二項本文により判示第一の罪について選択した無期懲役刑のほかは他の刑を科さず、被告人を無期懲役に処し、押収してある包丁一本(平成九年押第一五七九号の1)は、判示第一の殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

【量刑の理由】

一  本件は、かつて強姦致傷等の事件を起こした被告人が、被害者から警察ヘ届けられて逮捕されたことで激しい憤りを覚え、恨みを晴らすために被害者を殺害しようと決意し、約七年間の服役を経て出所した後、被害者の住居を探し出した上、包丁で刺殺し(判示第一の事実)、その直後、所持品を盗んだ(判示第二の事実)という殺人と窃盗の事案である。

二  被告人は、強姦致傷等の事件の際、被害者に対し、「警察に言えばどんな目に遇うかもしれないぞ。」と言って口止めをしたが、脅迫という形による一方的な口止めを被害者との約束と思い込み、警察に届け出るという被害者としての当然の対応を裏切り行為と決め付けて、深く恨み、このような筋違いの恨みを殺意に転じて、実行に及んだのであり、本件殺人の動機はあまりにも理不尽、身勝手、短絡的であって、一点の酌量の余地もない。被告人は、被害者の殺害を決意した後、約七年間にわたる服役期間中もその決意を持続させ、刑務所を出所した二日後から被害者の住居を探し始め、乙山団地に住んでいるという被害者の言葉だけを頼りに団地の集合郵便受けを見て回った挙げ句、被害者宅を突き止めて、殺害の目的を遂げたのであり、その執念深さ、殺害へ向けた意思の強固さは尋常でない。

本件殺人の犯行態様をみると、被告人は、被害者宅を見付け出す前から、凶器の調達に掛かり、現に犯行に使った包丁だけでなく、絞殺することも考えてペット用ロープ二本を購入し、包丁で刺殺することを決めてからは、滑り止めの目的で柄の部分にビニールテープを巻き付け、持ち運ぶのに目立たないように紙製の鞘を作ったほか、犯行後居住先を引き払うつもりで衣類の一部をコインロッカーに預けるなどして準備を整え、さらに、犯行の際の手順として、強姦致傷等の事件の被害者本人であるかどうかを確かめ、右事件のことを思い出させた上で殺害するという残酷な方法を考えていたのであって、計画性が認められる。また、犯行当夜、被害者がエレベーターに乗り込んでくると、あらかじめ計画していたとおり、まず被害者であることを確認し、突如、包丁を鞘から引き抜いて被害者に示しつつ、「七年前の事件のことは覚えているか。」と言って脅し、隙を衝かれて一旦は被害者に包丁を奪い取られたものの、「助けて。殺される。」などと悲鳴を上げながら抵抗する被害者をエレベーターホールの壁際まで追い詰め、壁に押さえ付けた上、むしり取るようにして包丁を奪い返し、被害者の左下腹部、腹部中央部、右胸部、左側胸部を続けざまに力一杯突き刺して、その一命を奪ったのであり、執拗で残忍な犯行である。

被告人は、被害者に致命傷を負わせたことを冷静に確認した後、殺害現場でその所持品を盗んで逃走したのであり、冷酷無情な性格を露呈している。また、盗んだ現金を逃げる際のタクシーの料金に使ったり、殺人に使用した包丁や盗んだハンドバッグ等をコインロッカーに隠匿するなどしており、その後の行動には、後悔や反省の念は見られず、犯行後の情状も悪い。

被害者は、埼玉県で農業を営んでいた夫婦の三女として生まれ育ち、商業高校を卒業後、日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社)に約二六年間勤めていた当時四四歳の独身女性であり、明るい性格で、真面目に働くという評価が高く、しばしば実家を訪れては、夫を亡くした母親のために孝行する家族思いの女性でもあった。強姦致傷等の事件の忌まわしい記憶を心の奥底にしまい込みながら、日々平穏に暮らしていたと思われるところ、辱めを受けてから七年余りも経過した後、その犯人である被告人から、突然、エレベーターの中で包丁を示されで脅され、一瞬にして恐怖のどん底に突き落とされたばかりでなく、必死の抵抗もむなしく、無惨にも尊い生命まで奪われたのであって、その結果が重大、悲惨であることはもとより、被害者の味わった恐怖感、苦痛、無念は、察するに余りある。被害者に対する被告人の恨みは一方的な決め付けによるものであり、本件において、被害者に何らの落ち度もない。

被害者の母親は、娘の幸せな一生を切に願いながら、その帰郷を毎回楽しみにして老後を過ごしていたところ、思いも掛けず、娘が惨殺されたという悲報に接し、変わり果てた姿を目の当たりにしたのであって、その悲嘆、怒り、絶望感は計り知れない。公判廷において証言した弟を始め、母親、姉がこぞって峻烈な被害感情を表し、被告人を極刑に処してほしいと強く要求しているのは、もっともである。しかるに、被告人は、今なお被害者の遺族に謝罪の手紙一つ出さず、慰藉の措置を全く講じていないのである。

さらに、本件殺人は、犯罪の被害者が警察に届け出たことに端を発し、長年にわたり恨みを募らせた挙げ句に被害者を殺害したという特異な事案である上、平日のそれほど遅くない時間帯に集合団地のエレベーターホールで発生した凄惨な事件であって、マスコミにも「逆恨み殺人事件」として大きく取り上げられ、近隣住民に与えた恐怖感や、一般社会に与えた不安感、衝撃は甚大である。

被告人は、公判段階において、殺意の発生時期について曖昧な供述をしているばかりでなく、強姦致傷等の事件の経緯について、「彼女にも落ち度があったんじゃないかと僕は思っています。普通、見知らぬ男から声を掛けられれば注意するのが普通だと思います。ある程度歳もいってたし、そういう判断力も欠けていたんじゃないかと思います。」と遺族の気持ちを逆撫でするような供述をするとともに、今でも被害者の方が間違っていたと思っている旨の言語道断ともいうべき責任転嫁の供述をしているのであって、本件犯行を心底から反省悔悟しているとは認められず、被害者に対する哀悼の念も希薄である。また、被告人は、これまで三回にわたり実刑判決を受けて、その度に矯正の機会を与えられ、とりわけ、殺人事件で長期間服役して、人命を奪うことの重大さを身をもって味わったはずであるのに、またもや本件を敢行したのであって、被告人には、人命尊重の意識が乏しく、その犯罪傾向はかなり深化している。加えて、前刑の服役中の態度も芳しくないこと、捜査段階において、更生意欲がないことを自ら認める供述をしていること、被告人が現在五七歳であることなどをも併せ考えれば、被告人には矯正可能性が低いというべきである。

三  以上のとおりの本件の罪質、理不尽な動機、執拗で残忍な態様、無惨な結果、遺族の峻烈な被害感情、社会的影響の大きさ、被告人の反省悔悟の念の乏しい、前科の内容、矯正可能性の低さ等を総合すると、その刑責は重く、被告人を死刑に処すべきとする検察官の主張は、傾聴に値する。

四  ところで、死刑選択の基準について、最高裁判所昭和五八年七月八日判決(刑集三七巻六号六〇九頁)は、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合に初めてその選択が許されると判示し、その具体的適用については、その後の裁判例の集積によってある程度明らかにされてきている。このような死刑選択の基準とその具体的適用の状況を前提にして更に検討を加えると、第一に、本件はあくまでも被害者一名に対する殺人と窃盗の事案であること、第二に、本件殺人は、その動機が被害者に対する個人的な恨みであって、保険金目的や身代金目的の殺人のように利欲的動機に基づくものではないこと、第三に、本件殺人には計画性があるものの、緻密で周到な計画に基づく犯行とはいい難いことを指摘し得るのであり、これらの点は、右最高裁判所判決以後の裁判例の事案と対比すれば、死刑選択につき消極方向に働く事情として特に重視すべきである。加えて、被告人は、捜査段階において、一貫して本件各事実を認め、公判段階においては、曖昧な供述をしながらも、大筋では事実を認めているばかりでなく、「遺族の方に申し訳なく思っています。」「今は被害者に対して申し訳ないことをしたと……思っています。」と供述したり、最終陳述に至り、「自分の歪んだ考えによる行動で、被害者及び遺族に申し訳ないことをしてしまったと深くお詫びします。」と述べるなどして、謝罪の気持ちを口にしているところ、これらは、前記の責任転嫁の供述等に照らすと、深い自己洞察に基づく真摯な反省を表しているとはいい難いが、被告人の投げやりな性格にもかかわらずこのように述べていることや、被告人質問の最中に時折目を潤ませている様子からすると、表面を取り繕った口先だけのものと断定することはできず、被告人の中に人間性の一端がなお残っていると評価することができるのである。一方、検察官は、犯罪の被害者保護の点を強調するが、被害者保護の問題は立法や行政上の措置に委ねるのが最も適切であって、本件の量刑判断においてこの点を考慮するにも自ずと限界がある。検察官は、また、被告人に殺人罪の前科があることを挙げるが、二〇年以上前に起こした衝動的な単純殺人の事案であって、この点に重きを置くにも限度がある。

そうすると、本件は誠に悪質な事案であって、被告人の刑事責任は重いというべきであるが、罪刑均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ない事案であるとまでいうことはできず、被告人に対しては無期懲役刑をもって臨むのが相当であると考えられる。

(検察官 千葉守、沢田康広、国選弁護人 石川弘 各出席)

(求刑 死刑)

(裁判長裁判官 山室 恵 裁判官 伊藤 寿 裁判官 矢野直邦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例